2019年08月12日
「人からどう思われるか」が気になること

毎日暑い日が続きます。
我が家の庭には毎年鈴なりにセミが宿る木があります。
何故その木にだけびっしりとセミが宿るのかはわかりません。
毎年その光景に夏を実感するのでした。
セミは一週間という短い現世の時間を生きているとよく言われます。
人として産まれて多くの人は長い時間を生きています。
私は「人はより良く生きようとしている」と考えています。
私のその価値観を身につけたのはいつ頃のころだったのか…
約60年を生きてきてさらにそう思うようになりました。
カウンセリングでもよりよく生きるために、一緒に「あーでもない、こーでもない」と話し合いたいと考えています。
さて、「人からどう思われるのか」は誰しもが気にかかるところだと思います。
以前にも紹介したドイツの精神科医フレデリック・S・パールズの「ゲシュタルトの祈り」では…
「私は私の人生を送り、あなたはあなたの人生を送る
私はあなたの期待に応えるためにこの世に存在するのではなく
あなたは私の期待に応えるためにこの世に存在するのではない
私は私で あなたはあなた
そこでもしお互いが偶然に出会えば それは素敵なこと
もし出会わなくても それもまあ良いこととしよう」
「私の期待とあなたの期待が異なることもあるので、お互いを尊重しましょう」と言っていると私は解釈しています。
「人からどう思われるのか」と気になりだすと不安になるものです。
アドラー心理学では、感情は個人がある目的のために作りだし、それを使うのだと位置づけています。
人には無意識で、主観的な、成功した時のイメージとして自己理想のようなものを持っています。=仮想的目標
その「仮想的目標」がかなえられない時に感情を使って、対処行動を起動するとしています。
感情は、お互いがうまく協力できる「結びつける感情」(喜びや思いやりなど)とお互いがうまく協力できていない時の「切り離す感情」(怒り、悲しみ、不安や恐れなど)に分けられます。
「仮想的目標」は個人がプライベートに持っている自分や他人、世の中についての無意識的な、無自覚的な価値観=「私的感覚」から設定されます。
「私的感覚」は他人と共有され、理解されて「共通感覚」となっていきます。
私は「結びつける感情」を使ってお互い信頼できる「共通感覚」を培っていくことが必要だと考えています。
もちろん不安にならない人はいないし、不安になることはあります。
感情は自分で起こしているのだから、何のために使っているのかを、私の「私的感覚」を探求するきっかけになります。
感情に「いい」とか「悪い」はないと私は思っています。
自分が辛くなる、「切り離す感情」を使っている時こそカウンセリングのような協働が役に立つのではないかと思います。
カウンセラーとクライエントの関係性において、私が目指しているのは「人として対等であること」です。
お互いに尊重し、信頼し、協力するカウンセリングでありたいと考えています。
少し厳しいかなと感じる見方も付け加えておきます。
アドラー心理学では、自分を中心として世界を見るのではなく、自分を含めた共同体を中心として見る「共同体感覚」という概念があります。
「私はどのように見えるだろうか」は個人的な優越の追求であり、自己防衛の態度と成功への野心の動きであると言っています。
共同体感覚に沿って「よりよく生きる」ことは「この状況で私は何ができるのか」と成長と発達と他者との連携の動きだとしています。
カウンセリングでは「この状況で私が何ができるのか」をテーマにすることも多いです。
私はここ数年アドラー心理学を学び直してから、共同体感覚を意識して生きるようになりました。
カウンセリングも以前と変化したかもしれません。
私の提案が今のクライエントと合わない時もあるのだと思います。
そこまでカウンセリングの中で話し合えることを私は望んでいます。
カウンセリングを通して、共により良く生きる変化を築いていきたいと望んでいます。
Posted by Mako Takabayashi at 12:21│Comments(0)
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