2012年06月18日
父の日でしたね
父の日を過ぎてしまいましたが…
すでに父は亡くなりましたが、私は父が大好きでした。
昔の人にしては身長が高く、ハンサム(古い言葉ですね…)で…
とにかく子どもには甘い父親でした。
幼い頃は妹と私を寝かせつけるために桃太郎の父親バージョンを面白おかしく話してくれたのでした。
妹と何度もお話をせがみ、飽きずに何度も話してくれたのでした。
母に後から聞いたのですが、私たちが寝てしまった後父は夜遊びに出掛けていたそうです。
いつも体の調子が良くなかった母親でしたので、父が色々な所に連れて行ってくれました。
キノコ採り、ふき採り、アイヌネギ採り、川釣り、海釣りなど…
野山、川海を駆け回りました。
父は蛇が大嫌いで、山の中で紐が落ちていたのを「蛇だ!」と大騒ぎしたそうです。
また、ヒグマのホカホカウンチを見つけて、あわてて逃げ帰ったこともあったと聞かされました。
小学校ではいたずらし放題の私でした。
担任の先生にたしなめられひどく叱られた時の事です。
家に帰って父親に愚痴ったところ…
父親は逆上し、学校に文句を言いに行ってしまったのです。
「何度注意しても言うことを聞かないからと言って、先生がつねった事はいけない!!」と…
確かにごもっともなのですが…
今で言うとモンスターペアレントだったかもしれません。
忘れもしないのは…
初めて見た父の涙です。
高校時代、彼氏が出来てあまりの楽しさに暗くなってから家に帰ってきました。
父はとても心配し、帰ってきた私に説教しながら涙を流したのでした。
そして…
社会人になって数年だった頃の事です。
通勤で使っていた東海道の電車の中で私は中年男性と言い争い殴られてしまったのでした。
その日は雨で傘を持っていました。
ドア付近で言い争い、こぶしで殴られ唇を切ってしまったのです。
あまりの悔しさに持っていた傘で殴りかかろうとしたところ他の乗客に止められたのでした。
殴られたのは私で、怪我をしたのも私なのに、どうして私のことを止めたのかと悔しくて悔しくて…
家に帰って父親の膝にしがみついて泣きついたのです。
父親は悔し泣きする私をただ黙って抱き寄せてくれたのでした。
いつもいつでも私の味方をしてくれました。
どんな時でも「真子がそう思うならばやってみなさい」と勇気づけてくれました。
私のわがままにも付き合ってくれて、すっかり甘やかされて私は育ちました。
家ではおしゃべりで楽しい父親でした。
大人になってからは一緒に夕食時に晩酌を交わすのが楽しみでした。
飲みながら、政治や社会、人生の話など熱く語り合ったこともありました。
父親が亡くなることになった病院に救急車を手配したのは私でした。
結核の再発で入院後、うつ状態にもなり寝ている状態が多くなっていた父親でした。
たまたま実家に帰っていた時に容体が急変し、検査を予定していた病院に緊急入院となりました。
それから毎週末のように、入院先の父親の看病に行きました。
たまたま看病に行っていた日曜日の朝、父は危篤となりました。
何故か離れて住んでいた私が父親の死に目に会えました。
父親は私がいた時を選んでくれたのではないかと思えたのでした。
葬儀は家族葬でこじんまりと行いました。
父はとても恥ずかしがりやで家族以外とは人が変わったように無口になってしまった人だったので…
父の亡骸と我が家で家族みんなで一晩過ごしました。
父が火葬場で鉄の扉の向こうに行ってしまった時、私はあまりの切なさに大声で泣き叫びました。
「燃やさないで!」何度も叫びました。
お墓に骨を納める時も周りにこぼれた骨のかけらを何度も掌で集め涙が止まりませんでした。
一周忌の晩には、ただただ涙が次から次へとあふれ出て止まりませんでした。
今年は父親の七回忌でした。
やっと笑顔で父の写真を眺められるようになりました。
大好きだった父親を思い出せた父の日でした。
すでに父は亡くなりましたが、私は父が大好きでした。
昔の人にしては身長が高く、ハンサム(古い言葉ですね…)で…
とにかく子どもには甘い父親でした。
幼い頃は妹と私を寝かせつけるために桃太郎の父親バージョンを面白おかしく話してくれたのでした。
妹と何度もお話をせがみ、飽きずに何度も話してくれたのでした。
母に後から聞いたのですが、私たちが寝てしまった後父は夜遊びに出掛けていたそうです。
いつも体の調子が良くなかった母親でしたので、父が色々な所に連れて行ってくれました。
キノコ採り、ふき採り、アイヌネギ採り、川釣り、海釣りなど…
野山、川海を駆け回りました。
父は蛇が大嫌いで、山の中で紐が落ちていたのを「蛇だ!」と大騒ぎしたそうです。
また、ヒグマのホカホカウンチを見つけて、あわてて逃げ帰ったこともあったと聞かされました。
小学校ではいたずらし放題の私でした。
担任の先生にたしなめられひどく叱られた時の事です。
家に帰って父親に愚痴ったところ…
父親は逆上し、学校に文句を言いに行ってしまったのです。
「何度注意しても言うことを聞かないからと言って、先生がつねった事はいけない!!」と…
確かにごもっともなのですが…
今で言うとモンスターペアレントだったかもしれません。
忘れもしないのは…
初めて見た父の涙です。
高校時代、彼氏が出来てあまりの楽しさに暗くなってから家に帰ってきました。
父はとても心配し、帰ってきた私に説教しながら涙を流したのでした。
そして…
社会人になって数年だった頃の事です。
通勤で使っていた東海道の電車の中で私は中年男性と言い争い殴られてしまったのでした。
その日は雨で傘を持っていました。
ドア付近で言い争い、こぶしで殴られ唇を切ってしまったのです。
あまりの悔しさに持っていた傘で殴りかかろうとしたところ他の乗客に止められたのでした。
殴られたのは私で、怪我をしたのも私なのに、どうして私のことを止めたのかと悔しくて悔しくて…
家に帰って父親の膝にしがみついて泣きついたのです。
父親は悔し泣きする私をただ黙って抱き寄せてくれたのでした。
いつもいつでも私の味方をしてくれました。
どんな時でも「真子がそう思うならばやってみなさい」と勇気づけてくれました。
私のわがままにも付き合ってくれて、すっかり甘やかされて私は育ちました。
家ではおしゃべりで楽しい父親でした。
大人になってからは一緒に夕食時に晩酌を交わすのが楽しみでした。
飲みながら、政治や社会、人生の話など熱く語り合ったこともありました。
父親が亡くなることになった病院に救急車を手配したのは私でした。
結核の再発で入院後、うつ状態にもなり寝ている状態が多くなっていた父親でした。
たまたま実家に帰っていた時に容体が急変し、検査を予定していた病院に緊急入院となりました。
それから毎週末のように、入院先の父親の看病に行きました。
たまたま看病に行っていた日曜日の朝、父は危篤となりました。
何故か離れて住んでいた私が父親の死に目に会えました。
父親は私がいた時を選んでくれたのではないかと思えたのでした。
葬儀は家族葬でこじんまりと行いました。
父はとても恥ずかしがりやで家族以外とは人が変わったように無口になってしまった人だったので…
父の亡骸と我が家で家族みんなで一晩過ごしました。
父が火葬場で鉄の扉の向こうに行ってしまった時、私はあまりの切なさに大声で泣き叫びました。
「燃やさないで!」何度も叫びました。
お墓に骨を納める時も周りにこぼれた骨のかけらを何度も掌で集め涙が止まりませんでした。
一周忌の晩には、ただただ涙が次から次へとあふれ出て止まりませんでした。
今年は父親の七回忌でした。
やっと笑顔で父の写真を眺められるようになりました。
大好きだった父親を思い出せた父の日でした。
Posted by Mako Takabayashi at 02:43│Comments(0)
│プライベート
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