発達特性のある子が学校で困るのはどうして?

Mako Takabayashi

2022年11月23日 16:44


「学校の中の発達障害」多数派・標準・友達に合わせられない子どもたち 本田秀夫著 SB新書

学校でのカウンセリングで「あるある」の合わせられない子どもたちのことについて書いてあります。
スクールカウンセラーとして「襟を正さなければ」と感じました。
私自身がADHDのグレーゾーンだから、発達特性ですっごく困ってしまうことわかっているはずなのに、学校の中にいると学校の当たり前に染まっていくんですね。

少数派の発達特性の人たちは、多数派の中では違って見えるのです。
定型発達(そもそも「定型」が何を指すのか私は疑問に思っていますが…)では説明がつかないから特性なのですよ。
特性という事情があるから、多数派が出来ていることがやりにくいのです。
頑張っていないわけではなく、何とかしようとしているから辛くて、苦しくて…
はたから見ると、それは「あるべき姿」ではないのです。
わがままだったり、自分勝手だったり、特別に見えてしまうのです。

本人にとって学校に行かない決断も苦しいんですよ。
お腹が痛かったり、気持ち悪くなったり、体はもう無理だよとサインを出すのも辛いものです。
苦しくても、辛くても苦行のように学校には行かなくてはならないものなのでしょうか?
本人が「行ってもいい」と思える場所だったら来た方がより良いだろうと私は思っています。
が、「行くべきもの」の縛りが強い学校へ行かざるを得なくなってしまうことがしんどいだろうなと思っています。

だからと言って、学校に行かないと「教育を受ける」機会が奪われてしまいます。
今はネット環境で様々なツールが用意されているので、学校じゃないと学べないわけではなくなってきました。
ですが、義務教育以降は「教育を受ける」選択肢がなかなか厳しい状況です。
高校まではほぼ90%以上の人が通っているので、「学歴」というカテゴリーで社会的に差別を受けてしまうことはありそうです。

「みんな違って、みんないい」わけではない日本でどうしていったらよいのでしよう。
日々そのことを悩みながら考えています。
この本に出合って、「そうなんだよ!」と心から思いました。
私はスクールカウンセラーとして何が出来るのかをこれからも模索していきます。

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