「厳しい」は「脅かし」ではない
厳しくする事を脅かす事と勘違いしている人がいる。
「厳しい」にいじわるな感じや怒りが混じっているのは「脅かし」
「脅かし」は人間の尊厳を脅かし、攻撃的。
その人の人格に触れる内容が含まれているのは「脅かし」
「厳しい」には愛がこもっていなければ…と思う。
「厳しさ」は、温かく、真摯な気持ちがこもっていて、勇気を与えるもの。
「険しさ」はあってもいいと思う。
「叱る」と「怒る」の違いにも似ているかな?
「叱る」には愛がなければただの暴言、暴力だったりする。
虐待で言い訳する親は一律に「しつけだった」という。
いつも思う。
「そんなのうそ!自分の腹立たしさや怒りの感情をただぶつけただけじゃないか!!」って…
「怒る」には相手がいる。
だけど、「怒らされた」のではない。
「怒る」と決めたのは自分自身だから…
怒りの感情を相手にぶつけるのは身勝手な事だと思う。
「憎しみ」に似てるかな?
だから我慢しろと言っているわけではない。
「怒り」の感情も大切な気持ち。
相手を攻撃するために「怒り」は使わない方がいい。
どんな事があっても暴力はいけないと思う。
私は認めない。
人以外の物に当たるのも暴力。
暴力は人の生きる力や人間らしさを壊してしまう。
昨日の身近で起こった痛ましい子殺しの事件で思ったこと。
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