思い込みは色眼鏡をかけて見ているようなものです。
そう思って見ているとそう思えるようにしか見えないのです。
人は生まれながらに思い込みを持っているわけではありません。
親に教えられたことや体験で学んだことを通して思い込みは作られていきます。
自分にとっての当たり前は他人にも同様に通用するわけではありません。
ですが、まるでそれは真実のように思っているので自分だけのものとは分かりにくいのが思い込みです。
この思い込みの色眼鏡が発達障害の人たちにとっては厄介です。
多くの人たちは場を読み、相手の気持ちを察して学んで行くことができます。
発達障害の人たちは場を読んだり、相手の気持ちを察したりが不得手です。
なので、その場にそぐわない行動をとったり、言葉を選んだりしてしまいます。
当人も「あれ?」「何かおかしいな?」ぐらいに感じたりは出来ますがどうしてなのかが分かりません。
そんな時、多くの場合誰も何も教えてくれません。
「失礼なやつだ」とか「勝手なやつだ」とか「自分勝手だ」と思い腹を立てます。
そして、同様なことが繰り返されればそれが思い込みになっていきます。
また、日本でははっきり言わないことが美徳となっています。
これも発達障害の人たちには厄介です。
冗談やどちらともとれる言い回しは分かりにくく混乱します。
「はい」でも「いいえ」でもなく、さらに黙ってしまわれては全くの理解不能に陥ります。
そこで突然怒ってしまったり、ひどく混乱し気分が不安定になってしまいます。
ここでも「失礼なやつ」とか「勝手なやつ」とか「自分勝手」と思われます。
そして、教えても何度も同じ間違いを繰り返します。
発達障害の人たちは忘れやすく、思い出しにくいところがあるからです。
間違ってから「あっ、そうだっけ」と思い出したりくらいはできたりします。
なので一生懸命わけを説明しようとしたりします。
そんな時「言い訳ばかりで誤らない」とか「やる気がない」とか「やろうとしない」などと思います。
そして怒られます。
本人は怒られたことで意気消沈し、わかっていても出来ない自分に苦しみます。
私自身、幼い頃から発達障害の人たちと同様の出来事でとても苦しんできました。
なので発達障害の人たちの苦しみや切なさが痛いほどわかります。
どうにかしたくても自分だけではどうにもならないことがあるのです。
ちょっとした手助けやヒントをもらったりすれば案外うまくいくこともあります。
身近に何故かそんな所を助けてくれる助っ人がいると発達障害の人は助かります。
通訳のような代弁者だったり、まずいところをそっと耳打ちしてくれる人だったり、ヒントを快く提供してくれる人だったり…
私は今そんな人たちが数名私を支えてくれています。
とても助かっています。
だけどやっぱりどうしても思い込みの色眼鏡で見られてしまう特性はなくならないものです。
もちろん自分にも思い込みの色眼鏡はあるのだと思います。
いつも「これはどうだろう」とチェックしながら自分の考えと付き合っていきたいと思います。