脳死とは

Mako Takabayashi

2009年06月18日 21:39

今日臓器移植法が衆議院で可決されました。
A案が通りました。
A案は脳死を人の死としています。

我が子の脳炎では様々な命への思いがありました。
初めて意識不明になった時、意識が戻ることを心から祈りました。
目をつぶったままで、緊張感のない顔は生きている実感はあっても我が子なのだろうかと思えるのでした。

このまま意識が戻らなかったら…
目をつぶりながらも動く我が子に意志は感じても人として生きていることを認められない自分がいました。
だけど呼吸をし、動きがあり、生きていることには間違いないのです。
心臓が動き生きている我が子が愛しかったのも事実です。

あのまま意識が戻らなかったとして…
私は親としてどんな決断をしたのでしょう。
気管切開を迫られた時もありました。
そこまでしても命をつなぎたい気持ちがあります。
何とか生きていて欲しい…
そんな時は命をつなぐための医療行為を選択したくなるものです。

かといって…
生気のない、意志の感じられない緩んだ表情や反応しない働きかけに絶望を感じるのも切ないものでした。
この状態で生き続けることに意味があるのだろうか…
そんなことが頭によぎりました。

親として子どもの命を選択する責任は重く苦しいものでした。
法律で脳死は人の死と決められても、親は我が子の死を自ら選ぶしかないのだと感じました。

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